元NPO法人日本二胡振興会名誉会長

<閔惠芬 MIN HUIFEN (1945-2014)>

中国音楽家協会副主席。全国優秀文化芸術家、徳芸双馨芸術家、国家一級演奏家。

1945年、江蘇省宣興に生まれる。 8歳から父、閔季騫のもと二胡を始め、12歳で上海音楽学院附属中学に入学して大学卒業まで、同学院に学ぶ。在学中は、王乙師、陸修棠師に師事する。

1963年第4回「上海之春」音楽祭全国二胡コンクールで最優秀賞を獲得し、一躍注目を浴びる。その後、中国芸術団、上海楽団、上海芸術団の団 員として二胡ソリストを務める傍ら、李慕良師、蘭玉松師、劉明源師等の指 導を受ける。

上海文学芸術賞、中国レコード社第1回ゴールドディスク、宝鋼高雅芸術賞 など受賞多数。

アメリカ、フランス、カナダなど世界十数カ国での演奏活動を通じ、世界的名声を得ており、英国のケンブリッジ世界名人録のも同氏の名が記されている。

1973年アメリカの公演で、フィラデルフィア交響楽団の指揮者、ユージン・オーマディー氏は、「超天才二胡演奏家」と賞賛。 フランスの新聞では、「休止符にも音楽が満ちている」「人の心を魅了する演奏」と評される。 1977年、閔氏の演奏した『江河水』を聴いて、著名な指揮者小澤征爾氏は、「人間の哀切を奏で、聴く者の胸を突き破るほど」と感極まって慟哭した。

閔惠芬が初演により、『長城随想』、『新婚別』、『詩魂』、『夜深沈』や『川江』は、二胡の名曲となり世界に伝わった。 また、閔氏の作、編による『洪湖主題随想』、『陽関三畳』等の多くの二胡曲は、二胡奏者の必修曲として広く知られる。

1981年、全盛期に閔氏は、重病にかかる。5年間に手術を5回、化学療法は15回も受け苦しい闘病生活を送りながら、閔氏は、常に明るさを失わず、舞台への復帰に努力をしていた。1987年9月、第1回中国芸術祭が開催され、6年も舞台を離れていたにもかかわらず、閔氏は中国中央民族楽団との共演で、二胡協奏曲『長城随想』を気迫込め演奏し大成功を収める。 その後、健康状態の回復に従い、より積極的に演奏、作曲、講演活動に従事し、シンガポール、アメリカ、香港、マカオ、台湾などで公演を行う。

閔氏の演奏作品は、幅広く、独特な演奏風格を持ち、情熱的で、魅力的で、感情、気迫と風趣が絶妙に融合し、民族音楽の精神が満ちている。

生涯において、中国における二胡のトップアーティストであり、二胡界の第一人者であった。
2014年5月12日、病気によりその生涯を閉じる。


こちらは日本二胡振興会発足の折に閔先生からいただいた挨拶文と自作・自筆の漢詩です。

ごあいさつ

 日本二胡振興会の設立を心からお慶び申し上げます。

 日本二胡振興会が、日中文化交流のために一つの架け橋となることを願ってやみません。
 日本二胡振興会のますますの発展を祈り、お祝いの言葉を贈ります。

 皆様に、日本でお目にかかれることを楽しみにしております。



   閔 惠芬氏直筆によるお祝いの言葉です。



櫻花如雪、 寒梅沁芳

雲漫富士、 気呑大江

琴韻交匯、 音融声祥

高山流水、 天籟廻響



為祝賀日本二胡振興会成立而題

           閔 惠芬 書

            2005.1.7


<和文>
櫻花は雪の如く、寒梅は芳りて沁みる

雲 富士に漫ちて、気は大江を呑む

琴韻 交 匯り、音声 融ゆうとして祥ぐ

高山流水、天籟 を廻りて響く

日本二胡振興会設立を祝して
閔 惠芬 書


<よみ>
 おうかはゆきのごとく、かんばいはかおりてしみる

くも ふじにみちて、きはたいこうをのむ

きんいん こもごも めぐり、おんせいゆうゆうとしてやすらぐ

こうざんりゅうすい、てんらいをめぐりてひびく


閔惠芬先生との思い出

2005年11月 二胡縁in東京にて




2006年6月 杭州 第一回海内外江南絲竹コンクール  閔惠芬と坂田前会長 「三六」を弾く


2006年10月 二胡縁in上海にて




2009年11月 香港のコンクールにて 閔惠芬先生と武会長


2013年2月 上海の病院にて 閔惠芬先生と武会長


追悼文
閔惠芬先生を偲ぶ     NPO法人日本二胡振興会会長 武楽群
この文章は、日中音楽交流協会発行の隔月誌「二胡の友」 2014/7-8 第32号にも掲載されました。


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